わたしが住職になったばかりの頃、ある日、突然海外から電話がかかってきました。
相手はアイルランドの国営テレビ。かつて都内の禅寺で共に修行したアイルランド人の尼僧について、インタビューをしたいという依頼でした。
彼女と出会ったのは、わたしがその禅寺で修行を始めて二年目のことでした。
言葉や文化の壁を超えて、わたしたちはすぐに心を通わせるようになり、やがて結婚の約束を交わすまでになりました。
しかし、彼女が母国で結婚の報告をするため、一時帰国の途中に立ち寄ったタイで、不運にもバス事故に遭い、わずか26歳の若さでこの世を去ってしまいました。
その後、彼女が日本滞在中に綴っていた日記がアメリカで書籍として出版され、大きな反響を呼びました。
テレビ局のスタッフは、その日記には書かれていない、日本での生活、彼女の“真の姿”について詳しく知りたいと願っていました。なぜなら、彼女は「深い悟りを得た尼僧」として語られることが多かったからです。
インタビューの少し前、坐禅をしている最中に、彼女がふいに現れ、静かに語りかけてきました。
「わたしのことは原田さんが書いてください。過大評価せず、等身大のわたしを伝えてください。」
実は数年前、彼女の日記をもとに映画化される計画がアメリカで持ち上がったことがありました。そのときも、夢や坐禅中に彼女が現れ、今回とまったく同じ言葉をわたしに伝えてきたのです。
彼女はとても純粋で、正直な人でした。
生前、自分が「悟りに至っていないこと」を深く理解していました。
だからこそ、死後に理想化されたり、聖人のように語られることを望まなかったのだと思います。
彼女は人柄も才能も優れた女性でしたが、修行の道において、真に導いてくれる師と出会えなかったことは、非常に残念なことでした。
そのため、彼女の中にあった光が、十分に開花することのないまま、旅立ってしまったように感じます。
今でも、彼女の真摯な姿勢と魂の声が、わたしの中に静かに響いています。